韓国の食の歴史と変化
檀君(タングン)神話
韓国(朝鮮)の誕生にまつわる話に、檀君(タングン)神話があります。ある日、天で暮らしていた王子が、人間界を治めるために地上に降りてきました。そのときに出会った虎と熊が人間になりたいと訴えたので、王子がひと握りのヨモギと20個のニンニクを与え、「これを食べて洞窟の中だけで100日間過ごすことができたら、人間にする」と申し伝えました。しかし、虎は耐えきれずに洞窟から逃げ出してしまい、熊は修行を全うして美女になり、王子と結婚しました。そして、二人の間に生まれたのが壇君です。 檀君は架空の人物を言われていますが、神話に登場するニンニクが韓食の代表的な食材であり象徴的です。
韓国料理の根幹
旧石器時代、先史人たちは野生植物を採取し、動物を狩猟して食べ物を得ていました。新石器時代に入ると農耕文化が始まったとされています。当時の食べ方は、生食のほかに、焼く、蒸す、煮る調理法があり、穀物をひいて水を加え、粥にして食べた痕跡があったと言われています。 食物を保存するために、土に埋める、焼く、干す、発酵させる方法が取られ、韓国料理の根幹が先史時代に既に存在しました。
主食は米、肉や魚が副食に変化
その後の部族国家時代は、華北の蒙古系住民が内陸に移動するのに伴い、稲作が広まり、主食と副食が誕生。先史時代は肉や魚が主食でしたが、穀類が主食となってから、栄養源の補給のために、肉や魚が副食に変化しました。
部族国家時代の後期になると、各部族の冨が形成され、豊作を願うための祭事なども行われるようになり、自然な流れとして宴会用の食事も生まれました。
醤(ジャン)の登場
三国時代においては、仏教が流行。戒律の影響で肉食のイメージダウンにより、穀物と野菜中心の食生活になりました。さらに農耕の発達により、国家体制の整備と共に身分制度が確立。食生活は貴族と庶民階級に分離され、貴族は米が中心で、家畜を保有し、食べたいときに屠殺するのに対し、庶民は雑穀が主食でした。アワや麦が食べられれば良い方で、貧しい場合は木の皮で空腹を満たしていました。
また、豆麹を発酵させてつくる醤(ジャン)が登場。調味料の発達がキムチにも影響を及ぼし、食生活の大きな転機となりました。この時代のキムチは、塩漬けの他にしょうゆ漬け、みそ漬けと味の広がりをみせました。
米飯と汁物文化
統一新羅時代に入ると、汁物が登場。今や食卓に必ずのぼる汁物は、米飯文化に付随し伝播しました。さらには漬け汁の多い水キムチも作られるようになりました。この時代は、唐や日本との交流が盛んになり、食文化の交流も自然の成り行きとして行われていたと考えられます。
肉食の禁止と調味料の普及
高麗時代では、仏教の台頭により殺生が禁止され、肉類、さらには魚類も基本的に食べられなくなった結果、菜食料理である精進料理が尊重されました。
その他には、お酒や菓子などの嗜好品が普及。貴族の食生活は華美になり、特に宴会料理は贅を極めたもので、庶民の食生活と大きな格差を生み出しました。
この時代は食品が多彩になり、調味料も新たに登場しています。「含桃」という酸味のある調味料が書物「高麗図経」に記されていたことから、酢が作られていたことが分かりました。さらに、胡麻が栽培されていた記録から、胡麻油も使われていたのではと考えます。さらに、宋との交流により胡椒が輸入され、はちみつや水飴で甘味をつけていました。
塩は高麗時代以前にもありましたが、この時代に専売権が国に帰属されたことで需要が増大し、基本的な調味料として普及しました。
そして、汁物が大きく発達。昆布で出しを取ったり、貝を入れて茹でたり、塩や味噌で味を調えるなど、味や使用する具材の種類が増えました。
高麗時代の器といえば、青磁器があげられます。青磁器は起源が中国で、朝鮮に伝来しました。特徴的な青緑色は、高麗で「翡色(ピセク)」と言いましたが、宋で神秘の色という鋳物「秘色(ピセク)」と呼ばれました。青磁器の発展により、高麗の食は器に負けない、水準の高いものとなります。
贅を尽くした宮中料理と唐辛子の伝来
14世紀末に朝鮮時代が建国。仏教が弾圧され、儒教が普及しました。そして、儒教思想に基づき、上流階級が政治を掌握する両班(ヤンバン)制度が確立。儒教で重要視している冠婚葬祭の作法が根付きました。よって、この時代の食生活は高麗時代を引き継ぎ、さらに贅を尽くしたものでした。
王様の食事は一日五回。十二楪飯床(シブイチョプハンサン)といい、おかずの品数が多いものでした。王様は全国から上納された食材で作られた料理を通じて、収穫状況などを確認していたそうです。
発展した宮中料理は、貴族や庶民にも伝わりました。その方法は「封送(ポンソン)という風習により、宮中の食事が貴族の両班(ヤンバン)に渡り、ここで食べきれなかった場合、両班(ヤンバン)に仕えているものたちに与えられたのでした。そうして、宮中料理は庶民にも知られることになったのです。
朝鮮時代にも牛肉を食べる機会は多くありませんでした。仏教が封印されても、牛や馬は交通や輸送に必要だったため、屠殺は基本的に禁止。そのかわり、豚肉や鶏肉を良く食べていました。また、滋養強壮食として犬肉が流行しました。
この時代で特筆すべきは、唐辛子の伝来。食生活に大変化をもたらしました。唐辛子の特長は、殺菌力があり防腐剤の代わりになること。キムチに唐辛子が使われるようになり、さらなる長期保存を可能にしました。コチュジャンの誕生も唐辛子のお陰です。
また酒の種類も豊富になりました。マッコルリ(マッコリ)は、蒸したご飯に麹を混ぜ、発酵させたのちに漉したもの。別名は濁酒といい、白濁した色が特徴です。マッコルリは、農作業の合間にお腹を満たすものとして飲用されていました。
食のグローバル化
朝鮮時代が終わると、食生活は海外の影響を受けて多様化。仁川(インチョン)の開港により中国の食が伝わり、中華のジャージャー麺が韓国風にアレンジされ、いまや国民食となりました。
現代では洋食や和食の店が増え、家庭でも海外の味を楽しむようになり、食が多様化しました。2004年頃にウェルビーイングが流行し、韓食の魅力が見直される一方で、最近はフュージョン料理が人気を博しています。